ナナリーは今、実の兄と対峙している。
母の暗殺劇の後、父である、当時の皇帝、シャルル=ジ=ブリタニアのギアスによって塞がれた目を開いた状態で…
目の前に立つ、皇帝の成り立ちをした兄、ルルーシュを見て、感慨に耽りそうになったが、そこはすぐに自分を律した。
今のままでは…自分の兄は…
だから…自分の全てをかけて、この兄を守る…
そんな思いだった。
「8年ぶりにお兄様の顔を見ました…」
本当に8年ぶりに見る、兄の顔だった。
本当は、人を殺すなんて事を考える筈のなかった兄…
なのに…母の死後、兄は、妹の為に全てを投げ打って、妹を慈しみ、愛し、守り続けてきた。
そんな兄の傍にいる事が辛かった。
大好きな兄だから…大切な兄だから…目の見えない、足も不自由な妹などに感けて、自分の幸福を見失わないで欲しい…そんな思いを抱き続けてきた。
そして、その思いだけが募る中…結局兄は、ギアスと云う人ならざる能力を手に入れ、『ゼロ』と云う仮面を被り、『黒の騎士団』を立ち上げた。
自分の為に…兄は、人である事を捨て去った…。
あの、アヴァロンからの通信が、ルルーシュのウソであることくらい、ナナリーにはすぐに解った。
結局、あんな仮面を被られてしまって、ナナリーは更に兄を思い、泣いていた…。
自分の為に人殺しとなり、人ならざる存在となったのなら…その原因を作った自分が…兄を人間に戻す…そんな思いだった。
だから…ナナリーはルルーシュのやろうとしている事、ルルーシュの行動パターンを全て、自分の中で考え、考察し、そして…今、目の前にいる愛する兄を陥れる為の策を練り続けてきた。
あの、ルルーシュの事…下手な事をしたら、すぐにバレてしまう。
だから、慎重に…本当に慎重に…自分の中で、策を練ってきた。
そして、ルルーシュの弱点が、妹であるナナリーである事は百も承知だった。
シュナイゼルにあのように、ルルーシュに挑発する事も、ルルーシュがその挑発に乗って、戦陣を切る事も、全て解った上で…
ダモクレスからフレイヤを撃ち続けた。
ルルーシュがやろうとしている事は解る。
それをいかにして止めるか…そして、その後を…どう、継承していくか…
ナナリーもルルーシュの妹であるが故に、馬鹿ではなかった。
結局、お互いに馬鹿ではなかったが故に辛い戦いとなった…。
目の前にルルーシュが立っていた。
きっと…目を開いたナナリーにギアスを使う…。
そして、ダモクレスの鍵を奪おうとするだろう。
絶対にそんな事はさせない…そう云う思いでルルーシュを見つめる。
「このダモクレスは憎しみの象徴となります!」
ナナリーがそう伝えると、ルルーシュは本当に刹那の時間、優しい顔で目を伏せた。
そして、次に目を開いた時に彼の口から出た言葉が…
「ルルーシュ=ヴィ=ブリタニアが命ずる!ダモクレスの鍵を渡せ!」
忌むべき赤い瞳から光が発せられた。
そして、気がつくと、手にしていた筈のダモクレスの鍵が、ルルーシュの手に渡っていた…。
「ギアスを…使ったのですね…」
ナナリーは一瞬、驚愕の表情を見せるが、すぐに心を鎮め、ルルーシュの顔を見る。
「ギアスは…お兄様のギアスは…一度使った人間には二度と効かないと聞きました…。だからもう、私にお兄様のギアスは効きません…」
ナナリーは静かに言葉を紡いだ。
ルルーシュが驚いた表情を見せる。
―――ナナリーが…俺に…
ルルーシュの思いはそんなところだろう。
「今、私が持っていたのは、確かにダモクレスの鍵ですが、予備のもので、まだ、押したところで、フレイヤは発射されません…」
ナナリーの言葉に、ルルーシュは驚きを隠せないと言った表情で、ナナリーを見た。
そんなルルーシュにナナリーは、ふっと笑みを浮かべて、ルルーシュの知っているナナリーからは信じられないような声音で言葉を発した。
「痴れ者です!この者を捕らえなさい!」
入口からわらわらと衛兵たちが入ってきた。
そして、ルルーシュの眼は布でぐるぐる巻きにされ、塞がれた。
そして、鳩尾に拳を入れられて、その場に崩れ落ちた。
「ナ…ナナリ…」
かすれた声で、その名前を呼ぶと、ルルーシュはその場で気を失う。
ナナリーが衛兵たちに道を開けさせて、ルルーシュに近づく。
そして、衛兵の一人に、ナナリーを車いすから、地面へ降ろさせた。
「お兄様…お兄様の罪は私の罪でもあります…。だから…お兄様が、この後の世界を…創造ってください…。多分、お兄様でないと…できませんから…」
そういって、気を失っているルルーシュの右手を握りながら、愛おしい者を見つめて、一粒、涙を零した。
きっと…もう、兄は妹に笑いかける事はない…
でも、自分が望んだ『優しい世界』と今ここに倒れている兄の『優しい世界』は同じなのであるから…
だから…何も怖くはない…そう、自分に言い聞かせる。
そして、ルルーシュを拘束し、目が覚めるのを待った。
ナナリーの準備は出来ていた。
国際中継で、第99代ブリタニア皇帝が、ダモクレスに捕らえられた事を世界に知らしめる為に…。
「…ん……」
ルルーシュの口からくぐもった声が発せられた。
「お目覚めですか?お兄様…」
ナナリーは車いすにかけたまま、ルルーシュを見下ろしている。
目を塞がれているのでルルーシュはナナリーの声でしかナナリーの居場所を判断する事が出来ないが、それでも、今の状況はきっと、自分の率いていたブリタニア軍が負ける事になるだろう事は推測される。
最後まで『ゼロレクイエム』に付き合ってくれた、ロイドたちの身が案じられてくる。
今頃、国の代表を連れて、黒の騎士団と合流している筈だ…。
「お兄様…これから勝利宣言です。ぜひ、お兄様にも見て頂かないと…」
そう云って、ナナリーがルルーシュに声をかける。
「全世界のみなさん、私は、ブリタニア帝国第4皇女にして、第99代ブリタニア皇帝、ルルーシュ=ヴィ=ブリタニアの妹、ナナリー=ヴィ=ブリタニアです。兄である、現ブリタニア皇帝は私の手に落ちました。ブリタニア軍の皆さん、引いては頂けませんか?」
言葉とは裏腹に、酷薄な声音で言い放った。
しかし、ルルーシュのギアスにかかっている、ブリタニア軍の兵士たちが一向に引こうとしない。
ナナリーは、『仕方ありませんね…』そう呟いた。
「お兄様…ちょうどこのあたりが、枢木神社の上空にあたります。お兄様の軍が引いて下さらないので…ここで…」
テレビで全世界に発信されている筈のこの映像…
それも構わずにナナリーがルルーシュにそう話しかける。
ルルーシュがびくっとして、目は塞がれているが、ナナリーのいるであろう方向に顔を向けた。
「や…やめろ!そこは…」
ルルーシュが慌ててナナリーを止めようとする声が発せられると同時に、フレイヤのスイッチの押される音が耳に届いた。
「やめろぉぉぉ…」
ルルーシュが必死に叫んだが、ナナリーは平然と言葉を続けた。
「さぁ、これで、兄の率いていたブリタニア軍も一掃されました。全世界の皆さん、これで、戦争は終わりました…」
ナナリーはカメラに向かって、更に冷淡な笑みを浮かべて宣言した。
そして、その中継が打ち切られ、ダモクレスは、ブリタニアへと向かっていき、戦場で戦っていた、黒の騎士団はそのまま、そこへ残された。
「お兄様…あなたは、このダモクレスの負けたのです。どうなるかは…お兄様なら…お解りですよね…」
そう云いながら、衛兵たちに手で合図し、ルルーシュを拘束したまま、捕虜の収容場所である地下牢へと運ばせた。
「残念です。お兄様…。先程、シュナイゼル兄様が云った時に、降伏してくださっていれば、こんなことにはならなかったのに…」
衛兵に運ばれていくルルーシュを見送りながら、ナナリーは、そっと目を伏せた。
やがて、ナナリーは、貴族制度を復活し、ルルーシュが解放したばかりの植民エリアが混乱している状況を利用して、再び、植民地政策を始めた。
黒の騎士団に関しては、完全に孤立無援になるような状況だった。
『ゼロ』…ルルーシュ不在の黒の騎士団に出来る事など、もはや何もないと思われた。
監視カメラのデータに残っていた、シュナイゼルがコーネリアを撃った画面を見て驚きはしたが、とりあえず、今ならコーネリアも何も出来ないと判断し、そのまま捨て置く事になる。
シャルルが行った、植民エリアへの圧政、そして、独立を保っている国々へも威圧外交を始めている。
シュナイゼルは、何かのギアスにかけられてはいるようだが、実際に決着がついた時には、シュナイゼルもカノンも不在だった為に、今は、シュナイゼルがナナリーの後見となっている形になっている。
そして、数ヶ月もすると、シュナイゼルの働きもあり、完全に、シャルルが敷いていた政治に戻って行った。
その鍵となったのは、ダモクレスに搭載されているフレイヤだった。
フレイヤを武器にナナリー自身が、世界に対して圧力をかけている。
その様子を、ルルーシュも監視役の人間から時折聞かされている。
ルルーシュは、ブリタニアの皇族であるとは云え、今は、敗者の立場であり、いつ、処刑台に上がらされてもおかしくないところにいる。
そして、『ゼロレクイエム』の為に、スザクは一度死んだ事にするつもりだったが、結局、ナナリーに従う兵士たちに捕らえられて、今は、手当てを施され、ルルーシュのいる牢の隣の牢にいる。
壁で遮られていて、顔を見る事は出来ないにしても、誰もいない時には普通に会話を交わしていた。
そして、時折入って来るナナリーのやっている事に対して…ルルーシュもスザクも、心を痛めていた。
ルルーシュはそんなナナリーに『何故…』と疑問を抱き、スザクは、『流石は兄妹だ…』とその疑問に答えた。
いずれにせよ、このままでは…ルルーシュもスザクも思うが、二人揃って捕らえられてしまっているので、どうにもならない。
それに、黒の騎士団自体が、孤立無援になり、散り散りになっていると聞くが、それも、いずれは、こんな裏切られ方をしたとあっては、何かの形で行動を起こすに違いない。
『ゼロ』の正体が皇族であったとか、ギアスと云う人ならざる能力を持っているとか、そんな、云われただけではすぐに信じられないような話で、『ゼロ』を排斥したのだ。
これだけ、目に見える形で世界中に憎しみの種をばら撒いているのでは、黒の騎士団が黙っている訳もない。
ルルーシュに裏切られたという思いはあるかも知れないが、ルルーシュの力が必要となれば、恐らくは…
ルルーシュは、捕らえられてから目を塞がれたままである。
ギアスを使われる事を恐れたからだろう。
こんな状況の中ではあるが、これまで、これほど長い時間、視覚を遮った事がなかったから、改めて、ナナリーの目の見えない世界と云うものを実感している気がする。
「なぁ…スザク…このままでは…」
「解っている…。でも…僕たちがこうして捕まってしまっていては…。ナナリーも僕たちの事をよく知っている。君に対しては目隠し、僕の場合は、出入口まで近づけないようにしてくれているんだ…」
二人だけの時にだけ、二人の会話が成立している。
まさか、ナナリーもルルーシュと同じ事を考え、そして、ルルーシュの事をよく知るが故に、このような方法をとったのだろう。
「くっそ…このままでは…。何とか…何とかナナリーを…」
「僕たちの居場所を知る人って、多分、この宮殿内でも一人握りの人間だけだよね…。僕でも、この拘束…解けないし…」
ナナリーに二人とも捕らえられてしまった事は、確実にルルーシュにとっての計算外だった。
シュナイゼルにギアスをかけたが、シュナイゼルがこんな所へ来る筈もなく、ナナリーも警戒していて、シュナイゼルとルルーシュを近づける事をしない。
―――カチャ…
スザクの牢の鍵の開く音がした。
そこに立っているのは、普段、食事を運びに来る衛兵よりもずっと背が高い。
それに、まだ、食事を運ばれてくる時間でもない。
「スザク…」
聞き覚えのある声…
見張り着用の帽子を深めに被っていたその男が帽子を取ると…
「ジノ!」
スザクが目を見開いた。
「しっ…」
ジノが慌ててスザクの口を塞いだ。
「とにかく、このまま、お前らがここにいると、ろくな事にならない…。だから、スザクとルルーシュ殿下を迎えに来た…」
「な…ジノ…君は…」
スザクは気持ちを落ち着かせて、ジノに尋ねた。
「今は時間がない…」
そう云って、スザクの拘束を解いた。
そして、ルルーシュのいる牢の鍵も開ける。
「殿下…一緒に来て頂けますか?ナナリー様の為にも…」
ジノはそう云って、ルルーシュの眼隠しと拘束を解いた。
「ナナリーの…為…?」
「はい…このままでは…どうなるかなど、殿下にはお分かりでしょう?ならば…」
そう云ってジノがルルーシュに手を差し伸べる。
「解った…とにかく、今は、ここを離れる…。ジノ…私とスザクを…ここから脱出させ、黒の騎士団のカレンの元へ…」
「イエス、ユア・ハイネス…」
そう云って、ジノはそこからルルーシュとスザクを連れ出した。
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