薄暗い部屋の中…
僅かに光っている…ストラップの折り鶴を模ったチャーム…
不思議な事に…この折り鶴を見ていると…なんだか…気持ちが穏やかになる様な気がした。
「こんな…ちっぽけな…模型だって云うのに…」
ルルーシュがぼそっと呟き…むくりと起き上がる。
手の中におさまっている…その小さな携帯電話のストラップ…
不思議な感覚だった…
折り紙なんて…小学校の工作の時間に少しだけ…やった覚えはあるけれど…それ以外で折り紙など触った事もない…。
そして、そんな事を意識した事もない…
あの、枢木スザクと云うサラリーマンにこのストラップを渡されて…一人になって、こうして眺めていて…この、折り鶴に…不思議な何かを感じている。
「マオに…悪い事を…してしまったな…。あんなに…楽しみにしてくれていたのに…」
これまでのルルーシュなら…完全に一人でこの、大きな作りのベッドの中に潜り込んで、ただ、身体を小さくして…ごちゃごちゃと考え事をしていたに違いないのに…
マナーモードになっていた携帯電話の着信を示すランプが点滅していた。
携帯電話を開いて…中を見ると…
心配したマオから何度もメールが来ている様だった…
「そう云えば…あれから…どのくらい時間が経っているんだ?」
ぼぉっとしていた時間は一体どれくらいだったのか…
マオは…ルルーシュが両親の事で何かあると、いつも心配してルルーシュから離れた後も携帯電話にメールを入れて来る。
そう云ったところはマメだと思う…
ルルーシュがいつ見るか解らないメールを…いつも、しつこいくらい入れてくれる。
最初のメールから…1時間半以上経っていた…
しかし…
「いつもより…短かったな…」
ルルーシュの口から出て来た一言…
本当に不思議な事ばかりが起きている気がする…
これは…
―――あの…変なサラリーマンの所為なのか?俺は…どうかしている…
ルルーシュは自分の中でそんな事を思う。
これまでにない感覚に…ルルーシュは…戸惑いを覚える。
マオといる時の自分と同じように、複雑な家庭環境にいる似た者同士…と云った相手と一緒にいるのともまた違う…
それでも…何か…安心感の様なものが生まれている事に…ルルーシュは気付いていた。
気づいていたけれど…認めたくない…そんな思いもある。
自分に、そんな感情があること自体…信じられないのだ。
これまで…自分を取り巻く大人は…3種類…
両親の様にやたらとルルーシュを独占したがる大人…
ルルーシュ本人よりも、ルルーシュを取り巻く環境に興味、関心を持ち、ルルーシュの機嫌を取ろうとする大人…
そして、担任の様に…逆らうと我が身が危ないと云う事で腫れ物に触るかのように扱うくせに、嫌悪感を隠しきれない大人…
そんな中に育ってきて…あの、枢木スザクと云う大人は…ルルーシュにとっては珍しい大人だった事は事実だ…
それが、一体何を意味しているかなど…今のルルーシュには解らない。
ただ…
―――もう一度会って…ゆっくり…話しをしてみたら…面白そうだ…
とだけ思っていた…
ルルーシュは携帯を手に取り…マオの携帯の履歴に電話する…
2コールほどで…マオが出た。
『ルル?大丈夫?』
ルルーシュからの電話と解って、マオがずっと心配していたと解る口調で電話に出た。
「ああ…ごめん…さっきは…。マオ…夕飯はどうした?」
ルルーシュがマオに心配させてしまった事を素直に謝った。
いつも…マオは損得勘定なしにルルーシュの傍にいる。
そして、いつも心配してくれる。
ルルーシュは中々素直に感謝の気持ちを表す事が出来ずにいるが…それでも、マオに対しては色々な意味で感謝していた。
『あ、うん…あの時間だったし…ルルは…もうご飯を作れる状態じゃないかな…と思って…コンビニのお弁当…買っちゃった…。こんなに早くルルから連絡来るなら…待っていればよかったかな…』
電話の向こうから申し訳なさそうなマオの声が聞こえてくる。
本当なら、あのような事があってその日の内にルルーシュから連絡が入る事など、ないと思っていても仕方がなかった…
ルルーシュがそう云った状態になった時、翌日も学校を休んで、連絡が取れなくなる事も多いから…マオとしても驚きを隠せない。
「そう…か…。ごめん…マオ…」
『仕方ないよ…。ルルは…色々あるから…。材料は…ちゃんと冷蔵庫に入っているから…。明日…作ってくれる?』
マオの言葉に…ルルーシュは、安心する。
確かに…人を近づけないようにしてきた…
それは、ルルーシュが特別人が嫌いであるとか、人付き合いが嫌いだからだと云う理由ではなく…
様々な思惑の大人たちに囲まれて育って来た所為もあり…人と付き合って行きたいと思わない訳ではない…
しかし…これまでのルルーシュを取り巻く環境では…
恐れる事が増えた。
ルルーシュ自身は認める事はしないが…
でも…マオは…ルルーシュが他人と深く関わる事を恐れていたように見えていた。
だからこそ、マオはルルーシュの傍にいられる事が誇りに思えたし、自分の中で自慢だった…
ルルーシュに選ばれていると…ルルーシュは自分を信用してくれていると…そう思えたから…
マオ自身、自分への評価は非常に低いものだった。
母親も…忙しさからマオに構える時間が少なく、一人でいる事が多く、また、母子家庭で、(マオは詳しい事を知らないが)父親の事情もある事もあり、世間から白い目で見られている自覚はあった。
そんなとき、ルルーシュに優しくされた…
それは…二人が同じ保育園に通っていた時の事だった…
傷のなめ合い…そう云ってしまえばその通りかもしれないし、それまでなのだが…二人にとってそれは必要だった…
しかし、ルルーシュの心に変化が生まれて来て…それが…彼らの関係を又、変化させていく事になる。
それが…二人の望まない方向であったとしても…
ルルーシュ自身、マオ自身、そんな変化の結果を望んでいなかったとしても…
恐らく、ルルーシュにとって、『枢木スザク』との出会いはそう云うものだったのかもしれない…
そして、ルルーシュの中で、何かあるごとに出て来る…『アイツ』と云う言葉…
最近ではルルーシュの中でその『アイツ』と云う単語が増えている事を…会えて無視しているようになっていた。
今日も残業を終えて、スザクが夜中の人通りの少なくなった通りを歩いている。
「お腹…空いたなぁ…」
ここ最近、残業で遅くまで会社に残り、帰り道には必ずそんな事を云っている気がする。
今日もまた…あのコンビニの前を通りかかる。
そして、街灯の下で自分の財布の中身をチェックする。
流石に…あの時のような失敗は社会人として恥ずかしいと考えてしまって…
あの日以来、コンビニに限らず、どこかの店に入る前に必ず財布のチェックする癖がついていた。
「今日は…大丈夫…」
そう一言呟いて、コンビニの方に歩いて行く…
中に入ると…あの時のおじさん店員がレジ係で立っていた。
「あ、いらっしゃい…枢木さん…」
すっかり覚えられてしまっていた。
あれから残業ばかりで帰り道にここによる事も増えているのだ。
「こんばんは、バトレーさん…今日も遅くまでお疲れ様です…」
スザクの方も、その店員の名前を覚えて、次の電車まで時間がある時には少し話をするようになっていた。
「枢木さんに云われちゃうと複雑だね…。私は昼間は自分の好きな研究をしていて、夜は研究費稼ぎの為にコンビニで働いているだけなのに…」
「僕だって…もっとお金持ちなら、こんなに残業してまで今の会社にしがみついていませんって…。昨今、とっても就職が厳しいんで…」
こんな…仕事に関係のない軽い会話に少しだけほっとする。
実際に、会社以外で誰かと話す事なんて…ずっとなかったから…
こうして、残業して、夜遅くなって、人の少なくなったコンビニだからこそ、こう云った会話は可能なのだから…
「まぁ、若い内は、頑張って仕事しないと…。絶対に今の苦労はこの先、役に立つから…」
バトレーのその言葉に、少しだけ複雑な気分になる。
確かに…『若い内の苦労は買ってでもしろ…』とは云うが…
ここまで生きた心地のしない20代半ばの貴重な時間と云うのもどうなんだろうと思う…
同僚のジノなどは、人当たりも、要領もいいから、仕事などはいつも順調に進んでいるように見える。
そして、結構遊んでいる様にも見える。
―――まぁ…あれはあれで、苦労しているんだろうけど…
と、最近では思いこむ事にしている。
確かに、スザクは仲がいいとはいえ、ジノの事は表面上の事しか知らない。
なんだか、やたらと口うるさい母親がいるらしい事は知っているが…
早くに両親を亡くして苦学生をして、現在の仕事に就いているスザクとしては…ジノを見ていると全てが羨ましく見える。
お金に困っているところを見た事がないし、当然、女とか遊ぶ時間に困っている様子もない。
ただ…時々、誰も知らないところで、大きなため息をついているところを何度か見ているが…
それでも、人間なのだから、悩みの一つや二つあったって当たり前だし、それを追及するつもりもなかった。
「バトレーさん、ここのコンビニって、どう云う客層なんですか?周囲はこんなコンビニになんて縁のなさそうな人が住んでいそうなマンションが立ち並んでいるのに…」
スザクが、なんとなしにこれまで抱いていた素朴な疑問を口にする。
スザクのそんな言葉に、バトレーがクスッと笑った。
「枢木さん、あんたはコンビニは庶民専用のお店だと思っているのかい?」
「あ、否…そう云う訳じゃないんですけど…。お金持ちの人って、超有名デパートの僕たちの知っているお肉の値段よりも0が一個か二個多い様なものしか食べないとか、特注品のアメニティしか使わないとか…」
スザクの中で膨らむ、金持ちの奇妙なイメージ…
そんなスザクにクスッと笑ってバトレーが答えた。
「まぁ、そう云う人もいるかもしれないけれど…そんな人はこんなとこに住んじゃいないよ…。基本的にはそう云った者をそろえているんだろうけれど、この辺りに暮らしている人たちは基本的に忙しい人たちだからね…。準備していたものが切れたらコンビニに応急処置的に買いに来るよ…」
バトレーの言葉に、スザクは新しい事を知った…と感心した様子で聞いている。
「そうなんですか…まぁ、僕なんかは小市民だし、縁のない話ですけどね…」
「枢木さんだってあの超一流企業に勤めているなら…将来的には有望でしょ?A物産でしたよね?あそこは…有望だと見込まれた社員は20代の内はとにかくこき使われるって有名だし…。君は、結構期待されているんだよ…」
お世辞でも…嬉しい言葉だ。
どうせなら、人の役に立ちたいと思うし、会社の中で、役に立っているのなら、それは嬉しい事だ。
自分が評価される…そして必要とされる…
人としてこれは嬉しい事であると…スザクは思う。
「あっと…噂をしていたら、あのマンション団地の住人が買い物に来たよ…」
そう云って、バトレーが入り口の方を見た。
外は暗くて、恐らく、その人物は黒っぽい服を着ているのだろう…
目のいいスザクでも解り難い…
そして、自動ドアの前までその人物が来た時…
「あ…あの子…」
スザクはその姿に驚いた。
昼間、ミレイに金曜日の接待の話を聞いていた時、その接待の席に訪れる取引先の社長の名前を聞いて、真っ先に会いたいと思っていた…少年…
「そう云えば…あの子にお金借りていたよね…枢木さん…」
その事はスザクとしては、あまり触れられたくないと思うのだが…
それでも、今は、そんな事よりも、会いたいと思ったその相手に会えたことの喜びの方が大きい…
少年が入ってきて…スザクの存在に気がついた。
「あ…」
ルルーシュがスザクを見て、小さく声を出した。
「やぁ…こんばんは…。君…まだ、中学生か高校生だろ?こんな時間にコンビニかい?」
スザクが努めて高鳴る心臓を隠す様に、にこりと笑って声をかけた。
「別に…あんたに関係ない…」
ルルーシュはふいっと横を向いてそう云い捨てた。
「あんたこそ…こんなところで夕飯の調達か?」
ルルーシュから質問を投げかけられた事に…スザクの中で『喜び』を感じて、フワフワと舞い上がりそうになっているのを必死に抑えている。
相手は中学生だと云うのに…なんだか…子供っぽい自分になっている事に…スザク自身も気づいているが…
何とか、それを圧し隠そうとする。
実際に隠せているかどうかは別の問題だが…
相変わらず、表情を変える事のないルルーシュだが…
ジノの話を聞いて、少しだけ、『寂しいんだろうな…』と思ってしまう。
「まぁね…。これからお兄さんは、2時間かけて帰らなくちゃいけないんだ…。流石に家まで何も飲まず食わずは厳しいからね…」
少しおどけたように答えてやる。
「おにい…さん…?」
ルルーシュが少し呆れたような顔をする。
「ねぇ…君…僕の事幾つだと思っていた訳?」
「年上だとは…思っていたけど…あんたがそんな風に話す奴だと思わなくて、ちょっと驚いた…。失礼があったなら…謝る…。ごめんなさい…」
棒読みの様なルルーシュの言葉に…言葉の内容よりもその棒読みの様な口調に…少し、寂しさを覚える。
それでも、なんとなく…『挫けていられるか!』と云う思いに駆られる。
ルルーシュは買い物かごの中に紅茶のティーバッグを入れ、他にシャーペンの芯やルーズリーフを放り込んでレジへと向かう…
そんなルルーシュの姿を見て、スザクも当初の目的を思い出し、温かい飲み物のケースから缶コーヒーとペットボトルの緑茶を手にしてレジへと向かう。
その様子を見ていて…ルルーシュはまたもスザクに声をかけた。
「また…中華まん…なのか…?」
あの時の事を覚えているらしく…ルルーシュがそんな事を尋ねてきた。
スザクは一瞬キョトンとして、再び笑顔を作って答えた。
「うん…外寒いし…家が近ければおでんでも買うんだけどね…」
そのスザクの答えに…ルルーシュが『ふ〜ん…』とだけ答えた。
そして、ルルーシュが誰かに興味、関心を持っている事に対してバトレーが、相手の失礼にならない程度に…表情を変えていた。
バトレーも近所に住むこの少年が時々、夜遅くにコンビニに買い物に来ている事は当然、知っていたし、一人で買い物に来る時の彼の顔は…とにかく、無表情の一言だったし、品物とお金のやり取りの時、商品を受け取る時にだけ『有難う御座いました』と返してくる以外は殆ど声を聞いた事がない。
バトレーの立場では心配であっても、口出しできる立場ではない。
ただ…こんな子供が一人で暗くなってからこのコンビニに買い物に来ると云うのは…少し気になっていた。
塾通いの子供でもない、習い事の帰りに寄っている訳でもない…ただ、家にいて、ふっと何かを思いつくと、ここに来ていると云う感じだった…
二人の会計を済ませて、バトレーは二人の後ろ姿を見送っていた…
そして、ほぼ同時に店を出た二人だったが…
「あの…おでんはないけど…夕食の材料…残ってしまっているんだ…。もし、時間があるなら…」
ルルーシュがふっとそんな事を云いだす。
ルルーシュ自身、自分で何を云っているのか…解っているのか、居ないのか…
「えっと…ストラップ…貰ったから…。俺、返さなくていいって云ったのに…100円返してくれた上に…ストラップまで…。あのストラップ…ちょっと…気に入ったから…」
小さく呟くように言葉を口にするルルーシュを見て…スザクは歓喜と驚きの渦に巻き込まれていた…
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