※この作品は、篠木菜々さまに捧げたものです。
皇暦2000年12月…神聖ブリタニア帝国第98代皇帝、シャルル=ジ=ブリタニアとその寵妃である、マリアンヌ=ヴィ=ブリタニアとの間に皇子が生まれた。
ベッドで横たわるマリアンヌの隣ですやすやと眠っている我が子を慈しむように見つめながら…何か憂いの消えない笑顔を見せる。
「シャルル…そんな顔をしないで…。確かにこの子は…過酷な運命を辿る事になるわ…。でも、この子は大丈夫よ…」
マリアンヌは我が子の額をそっと撫でながら、何を根拠にしているのか解らないが、確信しているように断言する。
「……」
マリアンヌの言葉に…まだ、我が子の行く末を案じているのか…シャルルはやはり、辛そうな表情を変える事がない。
「シャルル!あなたはこの神聖ブリタニア帝国の皇帝で…これから、『嘘のない』世界を作る為に世界と時代を背負わなくてはならないのよ?」
中々、憂いを消す事の出来ずにいるシャルルにマリアンヌはぴしゃりと叱責する。
そんなマリアンヌを見て、シャルルは苦笑する。
「こう云う時は…母が強いのだな…。覚悟も出来ている…。でも、私はやはり、この子が可愛い…。自分の手で守ってやりたい…そう思ってしまう事は罪…か?マリアンヌ…」
普段の皇帝としてのシャルルからは考えられないような表情を見せている。
尤も、シャルルがこのような表情を見せるのは、マリアンヌの他において、誰もいない。
皇帝としての仮面、『嘘のない世界』を作る仲間たちに対する顔、そして、敵を排除するための非道な統治者の顔…。
「大丈夫よ…この子は…。だって、シャルルと私の子ですもの…。きっと、あんな悲劇ばかりが起きる世界を壊してくれるわ…。私たちは、その下準備をしてあげなくてはいけないの…。この子が…きっと、変えてくれる…」
自分たちが選んだ道とは云え…我が子に…そのような『業』と『責務』を負わせなくてはならない、自分の立場の不条理さと運命の冷酷さを噛み締める。
シャルルは皇帝と云う立場上、多くの后と子供がいる。
これまで、多くの我が子を見てきたが…これほどまでに愛おしいと思った我が子がいただろうか…
「さ、シャルル…この子を抱いてあげて?この後…二度と、抱きしめてあげる事が…出来なくなるんだから…」
そう云いながら、マリアンヌは身体を起こし、生まれてまだ、数日しか経っていない我が子を胸に抱き、シャルルに抱いてやるように…と促す。
シャルルも恐る恐る、その小さな命をその鍛えられ、力強い腕をその子を受け取るべく差し出す。
少しでも、力の入れ方を間違えたら…簡単に壊れてしまいそうな…小さな…もろい命を腕に、シャルルは腕を震わせる。
こんなに…小さく…弱く…でも…温かい…
シャルルの腕の中で目を覚ましたその子が…シャルルの顔の方に手を伸ばしてくる。
何かを掴もうと…何かを探しているかのように…
シャルルは、そんな小さな…本当に小さな弱い手を見ながらも…ヒトの力強さを知った気がした。
小さく、弱い手でも…何かを掴もうと、その手を伸ばしているのだ。
「ルルーシュ…」
シャルルがふと呟いた。
マリアンヌはその声に、一瞬驚いた表情を見せるが…にこっと笑った。
「シャルル…それが…その子の名前?」
シャルル皇帝自ら名をつけるなど…これまでになかった事…
無意味にシャルルの寵愛を競い、権力闘争に明け暮れている后たちが聞いたら、烈火のごとく怒り出すだろう…。
『庶民出の下賤の者の子に、皇帝自らが名付け親になるなど…』
と…。
マリアンヌにとっては、井の中の蛙の一番争いになど、全く興味はなかった。
そんな事よりも、これから、シャルル、C.C.、V.V.と共に、世界を変える為にやらなくてはならない事が待ち受けているのだ。
表向きの寵愛になど興味はなかったし、貴族や皇族の娘たちがシャルルの后となっているのだ。
表向きの寵愛争いになどに巻き込まれたら、命がいくつあっても足りない。
マリアンヌは元々、庶民出身…。
確かに外に出れば、今、王宮内に暮らすどの后よりも支持が厚いが、内に入ってしまえば、大した後見もない…騎士候と云う地位はあっても、身分のない彼女にとって、要らぬ事で目立つのは危険だ。
今は、やらねばならない事がある。
そして、現在…『生きる為の理由』も出来た。
世界を壊す為に…世界を変える為に…我が子を守り、我が子を突き放す…
シャルルはV.V.と、マリアンヌはC.C.と契約した時に…本当なら、誰もが普通に望む『幸せ』を手放したのだ。
でも…それでも…今だけ…今だけは…と、マリアンヌの産み落とした子供に…愛情をかけてやりたかった。
マリアンヌもシャルルにこの幼いわが子…ルルーシュを抱かせてやりたかった。
彼らが歩いてきた、辛い過去を…二度と繰り返さない為に…だから、シャルルとマリアンヌは夫婦となった。
恐らく、シャルルにとって、シャルル自身が決めた…自身の意思で決めた唯一の后だ。
その唯一の后が生んだ我が子が、可愛くない訳がない…。
本当なら…ずっと手元に置いて、自分の腕で守ってやりたい…そう思うが…
しかし、その時の世界では…そんな事をしても、この子は救われないし、自身の歩みを止めてしまう事になる。
だからこそ…シャルルは、この時を限りに…Cの世界でルルーシュに排除されるまで、ルルーシュにとって、父ではない存在となったのだ。
シャルルとマリアンヌが懸念した通り…ルルーシュは過酷な運命を辿った。
せめてもの救いは…その後、妹のナナリーが生まれた事だろう…。
ルルーシュは妹をこよなく愛したし、その事が生きる力となっていた。
王宮内にいても、マリアンヌの身分故か、近寄って来る皇族は殆どいない。
殆どの皇子や皇女の母親やその後見である貴族たちが、マリアンヌ母子を『下賤の者』と蔑み、近寄らなかった。
しかし、マリアンヌへの庶民からの支持は年を増すごとに高くなっていき、貴族の中でもマリアンヌに傾倒していく者が増えてきた。
ジェレミア=ゴッドバルトなどはその筆頭と言えるだろう。
皇子や皇女の中でも、マリアンヌの活躍を知り、彼女に傾倒する者が出てきていて…ルルーシュやナナリーはそう言った異母兄皇子、異母姉妹皇女は、懇意としていた。
確かにルルーシュやナナリーへの風当たりが小さい訳ではない。
母であるマリアンヌは、庶民からの支持も高く、皇帝の覚えもめでたい。
謁見の間…しかも皇帝の御前に馬で乗り付けて、何のお咎めも受けない事自体、どうかしている。
確かにあの時、マリアンヌの事情もあったらしいが…その辺を全く公開されず、しかもマリアンヌ自身何の弁解もしていないのだ。
そんな庶民出の后がいては、他の妃たちは我が子の地位が危ないと神経を尖らせるのは当たり前で…。
ルルーシュ達の住まうアリエスの離宮にプライベートで立ち寄るのは、いつでも、第二皇子シュナイゼル、第三皇子クロヴィス、第二皇女コーネリア、第三皇女ユーフェミアの4人だけだった。
それでも、ルルーシュもナナリーも彼らが来てくれれば楽しく過ごせたし、仮に身分のある母を持つ皇子や皇女の場合、腹の探り合いの様な付き合いとなって、かえって気づまりしてしまうだろう。
母が生きている間…本当に恵まれていたと思う…。
母が庶民出身故に、皇位継承権も高くなく、皇位継承争いに巻き込まれる事はない。
ただ…母が有能過ぎるが故の風当たりはあったし、ルルーシュやナナリーを蔑む貴族たちもいた。
それでも、普通の生活を送っていく上では…母や、大好きな異母兄姉妹、ナナリーに囲まれて、幸せだったと思う。
あの頃…ルルーシュは、素直に嬉しければ笑い、悲しければ泣き、怒りを感じれば怒り…
時々流れてくる、父の植民エリアの広げ方に眉をひそめる事はあったものの…まだ、子供であったルルーシュには遠い話で…
母が…殺されるまでは…『皇子』という肩書を持つ、普通の…少年だった。
その肩書も、大好きな人たちに囲まれていれば、あるのか、ないのか…解らなくなってしまうような…そんな、ぬるま湯にいたような気がする。
やがて、母が、アリエスの離宮で殺されて、ルルーシュの周囲は一変する。
これまで、ルルーシュとナナリーを保護してきたのは、マリアンヌの存在だったから…。
マリアンヌが殺された…その報せを聞いた時…シャルルも一瞬焦りの色を見せた。
10年前のあの時…自分の手元から離した子供たちの身に…危険が及ぶ…。
王宮の低脳な后や皇子、皇女に関しては、ルルーシュを可愛がっていたシュナイゼルが何とかできるにしても…V.V.から守るには…
シャルルは、皇帝としての執務中にも何としても、唯一、自らが名付け親となった最愛の息子を…助けたかった。
これまで、確かに傍らに置いておく事は出来なかったが、それでも、時折入って来る報告に顔には出さず、喜びをかみしめていた。
ルルーシュが初めて喋ったとか、歩いたとか…会えないのなら…せめて知りたいと…
誰にも怪しまれる事がないように、シャルルとマリアンヌのメッセンジャーはC.C.が担当していた。
『コード』を持つ者故に、色々と細かいところで役に立つ。
そして、秘密も守られる。
シャルルは、これから自分たちが何をしようとしているか…承知している。
愚かしいと思う…。
兄V.V.から『ギアス』を得た時点で、『人』としての幸せを求めるべくもなく…ただ…自分たちの信じた未来の為に邁進せねばならぬと云うのに…
マリアンヌが死に…いよいよ、愛する我が子たちと、決定的な決別をせねばならない時がきた。
そして、そうする事によって…ルルーシュは…その先の世界を導いてくれる…。
ルルーシュが生まれたばかりの頃に、一度だけ、その腕に抱いた我が子の温もり…今でも覚えている。
話に聞くルルーシュは…シャルルの気性によく似ている。
それが嬉しかった。
だからこそ…ルルーシュは世界を導いてくれるだろうと…心から信じる事が出来る。
―――嘘ばかりの世界で、『嘘のない世界を創る』と云っているわしが…我が子を信じるか…滑稽な話よ…
自嘲気味にその口角を吊り上げる。
「シャルル…」
後ろから声がかけられた。
兄、V.V.だった…
「聞いたよ…マリアンヌの事…」
V.V.のその言葉に…シャルルは怒りが込み上げてくる。
『嘘のない世界』を作る為の同士だった筈…
なのに…V.V.は…シャルルにウソをついている…
―――ルルーシュとナナリーだけは…絶対に兄さんから守って見せる…
V.V.を睨みつけるように見ながら、シャルルは心の中で決める。
その後…間もなく、ルルーシュがシャルルに謁見を求めてきた。
ルルーシュのその整った顔には…隠しきれない怒りの色が滲んでいる。
「何故、母さんを守らなかったんです!」
ルルーシュのその言葉に…本心を隠し、突き放す為の言葉を言い放つ。
「お前は…生きた事などない…」
―――ルルーシュ…強くなれ…。強くなって…世界を導く王となるのだ…
シャルルは口に出す言葉と頭の中でルルーシュに訴える言葉…
全く違う事に気づいている。
しかし、マリアンヌがいなくなった今、シャルルにはこれしか、ルルーシュを守る方法がなかった。
兄、V.V.の目の届かぬ所へ…V.V.がルルーシュ達の命を狙わない場所へ…
ルルーシュを送る先を日本とした事には理由があった。
一触即発の状態の国ではあったが、戦力では日本はブリタニアには敵わない。
そして…預ける場所は現在の日本国首相の元…
枢木首相には…ルルーシュと同じ年の子供がいると云う…。
いずれ、ルルーシュのいる日本に攻め込み、Gの遺跡を把握せねばならないのだ。
その時に…ルルーシュを守る者が…いてくれたら…そんな、淡い期待を抱いて…
結局、最後の最後まで優しい言葉の一つもかける事もなく…ルルーシュとナナリーを日本へと送った。
7年後…ルルーシュは『ゼロ』としてブリタニアに反旗を翻した。
C.C.の与えた『ギアス』を使いながら…自分の心を削りながら…
かつて、皇位継承権争いの中で不本意な戦いに身を投じていた頃の自分を思い出す。
ルルーシュの記憶を封じる時…それまでのルルーシュの記憶を垣間見た。
笑っていられた時期もあった…
心の底から安堵した。
そして…ルルーシュを世界の王へと育て上げる為に…必ずC.C.の手によって記憶の封印がとかれる事を承知で記憶を封じた。
記憶がよみがえる時…ルルーシュはさらに強くなる…その確信を持って…
更に1年後…Cの世界でルルーシュとの最期の再会を果たす。
ルルーシュは…シャルルたちの望んだ世界を真っ向から否定した。
そして、シャルルに向って、マリアンヌに向って、叫んだのだ。
『それでも俺は明日が欲しい!』
と…。
その言葉を聞いて…シャルルはルルーシュの成長を確信した。
そして…兄から奪った『コード』を無理矢理押し付ける様に託したのだ。
心の奥底で、言葉にならない叫びをあげながら…
―――ルルーシュ…生きよ…。誰よりも、この世界で生きたいと願うお前なら…きっと…良き先導者となる…
シャルルはルルーシュの首を掴んだ時に、自らの『コード』をルルーシュに渡した。
消えていく時…シャルルの中では…やり遂げたという思いがあふれた。
確かに…ルルーシュには親らしい事が何もできなかった…。
それは…自分がやらねばならない事があったから…
言い訳になるかもしれないが…それは本当で…
シャルルがルルーシュを愛していたのは本当で…だからこそ…最期の最期に『コード』を託した。
シャルルの想いは…ルルーシュには永遠に届かないかもしれない…
でも、それが…ルルーシュの強さの糧となるのなら…それもいい…
シャルルはそんな事を思いながら…自分の存在が完全に消えるまで…我が子の、あの時の、小さな手を…思い出していた…
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