智に働けば…


 ここ20年ほど…大きな戦争もなく、世界は平和な時代を迎えていた。
ルルーシュとスザクが『ゼロ・レクイエム』を起こした頃には考えられない程に…
こんな穏やかな時代を見ていると…
既に、この世から去っている自分たちを知る者たちも…この時代に生きていて欲しかった…などと感慨に耽る。
それは、『黒の騎士団』のメンバーでも『ブリタニア軍』の軍人でも関係なく…二人ともそう思える。
あの時、全ての者たちが自分の『正義』を信じて戦っていたのだから…
価値観…正義観…あらゆるものが違っている人間が…戦いもなく、争いもなく、穏やかに暮らせるという事はなかなか難しい…
人によって価値観が違う。
人によって違うのだから、国同士でも価値観や国益が変わってくる。
ともなれば…自分たちの価値観を守るだけでも大変なことである。
あらゆる者の価値観を享受出来るのであれば、誰も、争いなど起こしはしない。
でも、人間とは難しい生き物で、それぞれが自分の価値観で物を見て、時には、価値観が反対な者まで存在しているのだから…
世界の人間すべてに対してそれを享受しろと云う方がどうかしている。
一つの価値観に縛りつける事もそれは…人の意思を捻じ曲げる事になる。
だからこそ、『ゼロ・レクイエム』の後も80年近く、様々な争いの火種がくすぶっていたが…
それでも、20年ほど前にやっと、世界は『享受』ではなく、『妥協』と云った形でひとまず、それぞれの剣を下した。
そして…それからは微妙なバランスの中で、世界的な戦争を起こす事なく、時には小さな争いは怒るが、それでも、全世界を巻き込んでのあんな血で血を洗う戦いに発展する事はなくなっていた。
しかし…こうして考えてみると、こうした平和も確かに微妙なバランスの下で成り立っている事が良く解る。
少しバランスが崩れれば、あっという間にあの…地獄のような世界が待っているのだ。
中にはあの、ディートハルトの様な『chaos』を求める者もいるかもしれないが…
それでも、人として生きる限り、人として生まれ、人として生き、人として死んでいきたい…そう思うのは至極当然だろう。
今では戦争に向けられていた研究が、人々の生活に密着してるところで活躍している。
ナイトメアに利用されていた技術は様々な分野で活躍している。
そして、戦場で負傷した者たちの治療などで研究されていた医療技術も今では一般市民の慢性病の治療法として用いられているものもある。
あの戦争を肯定する訳にはいかないが…あの戦争の遺したものの中には、こうして、平和な時代になって有効に活用されているものもあるという事だ。
あの、混沌とした時代も、現在の平和な時代も、人が創りだした…一つの形と云えるだろう。
この時代がいつまで続くかは解らない。
人々は決して立ち止まらず、前に進もうとするから…
前に進んで行くうちに、価値観も、正義観も変わって行く。
変わって行くからこそ進歩が生まれる。
その過程で、醜い争いが生まれて来るのは…恐らくは、人が進歩して行く為の『影の部分』なのだろう…

 穏やかな日々を過ごしている彼らは…
今日、ルルーシュは読書に勤しんでいる様だった。
ここのところは、世界情勢を一通りチェックするだけの日々となっている。
『ゼロ』の仮面を被っているスザクに対して、対策を考えると云う事も少なくなっている。
だから、今は平和な…穏やかな…ルルーシュもスザクも、『コード』を継承する以前には考えられない程静かな日々だ…
下手をすると、人々は『ゼロ』の存在を忘れ去っているのかもしれない…
だが…彼らは、それでいい…その方がいい…そう思う。
『ゼロ』が存在するという事は…その存在が必要だという事は…
この穏やかな時代の終焉を意味するから…
再び、数十年単位での『chaos』が待ち受けている事になる。
それも…人々が生きて行き、進歩を続ける為には必要な儀式であるとは解っていても…出来る事なら、犠牲を…最小限にとどめたい…
そう思うのは彼らの傲慢なのだろうか…
ルルーシュは薄い文庫本を片手に…その文庫本の冒頭を読んでクスッと笑う。
それを見たスザクが不思議そうな顔をする…
「どうしたの?ルルーシュ…」
「あ、いや…この冒頭の部分…俺たちが『コード』を継承する前の俺たちを見事に表しているなぁ…と思ってな…」
笑いながらルルーシュがそう返す。
そうして、スザクがルルーシュの手にしている本を覗き込むと…
―――智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
そんな一文がある。
確かに…あの頃のルルーシュとスザクをそのまま映し出している様な一文だ…
「いつ、そんな本を買ってきたの?」
スザクがルルーシュに対してそんな事を尋ねる。
あの混沌のさなか…文学も美術も音楽も…全てがめちゃくちゃになった…
最近では混沌以前のそう云った、文学や美術、音楽を何とか取り戻そうという動きが出ているが…
文学や音楽ならともかく、美術に関しては多くのものが戦争の中で焼かれ、壊された。
ルルーシュとスザクはその時の文化を出来るだけ残そうと…努力をしていたが…それでも、皇帝と騎士と云う立場で、しかも、時間的に厳しい中…出来る事など限られていた。
それでも、ジェレミアが相当頑張ったらしく、ブリタニアの王宮には『ゼロ・レクイエム』で戦場となった日本の美術品、文学、音楽の記録や現物が保管されている。
ルルーシュが手にしている文庫本もその中の記録を下に出版されている。
しかし…ここ最近、ルルーシュが外出した形跡はないし…何より、ルルーシュの手にしている本はかなり…古い…
ルルーシュの几帳面な性格が出ていて…大切に保管していたようだが…
それでも、相当時間が立っている事が窺える。
「ああ…ジェレミアに…頼んで買って来て貰ったんだ…。あの…オレンジ畑にいた頃に…」
その本をじっと見ながら…ルルーシュが少し感慨深げにそう告げた。
しかし…ジェレミアのあのオレンジ畑にいた頃…と云うと…アーニャがこの世を去ってから既に40年は経っている。
ジェレミアと云うと…ルルーシュの為…と云う事で相当長生きをしているが…
「ルルーシュ…よく…読める状態で保存していたね…」

 スザクが呆れたように云うと…
「この本…実は…日本に来て、お前と別れて、アッシュフォードに身を寄せて間もなくの頃に初めて読んだんだ…。当然だが…あの頃は自由になる金もなかったんだが…アッシュフォード家の当主の書斎で…だったかな…。初めて読んだのは…」
懐かしそうにではあるが…でも、どこか複雑な感情をルルーシュが表に出した。
「枢木の家じゃないんだ…。まぁ、君たちがあんまり本宅の方に来た事ってなかったけれど…」
「新聞でさえ、俺の手には入らなかったものだしな…。あの頃は…ブリタニアから持ってくる事が出来たわずかな本しか…持っていなかったな…」
「でも、なんでまた…その本を?」
ルルーシュがその本を読んだと云うのは…アッシュフォードに云って間もなくの頃と云う事は…
確かにスザクとの別れ際に『僕は…ブリタニアをぶっ壊す…』などと云っていたが…この本でその役に立つとはとても思えなかった…
「別に…俺は実用書ばかりを読んでいた訳じゃないさ…。それに…この先の部分も結構感銘を受けた…。特に…最初は読もうと思っていた訳じゃないんだが…。なんとなく開いて…一気に全部読んだ…」
「この先って?」
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると安いところへ引っ越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれ、画(え)が出来る。
人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。矢張り向こう三軒両隣にちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて越す国はあるまい。あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう。」
ルルーシュがその本の冒頭をすらすらと暗誦し始めた。
どう考えても日本の文学だ…
「ひょっとして…ルルーシュはその本…丸ごと暗誦できるの…?」
スザクが恐る恐る尋ねてみると…
「何ページの何行目か…そこを尋ねられればそれを答えられるぞ…」
そんなのは当たり前だと云わんばかりにルルーシュがスザクに返す。
『コード』を継承して、既に100年以上生きていても、ルルーシュのバケモノ並みの記憶力は健在だったらしい。
「あ…そ…」
半ば呆れ顔でスザクがルルーシュを見るが…
しかし、ルルーシュの頭の中にはこの本1冊だけではなく、様々な本が丸ごと入り込んでいるに違いない…
すぐにそう思うと…逆に呆れるという境地を超越する気がした。
大体、アッシュフォード学園に在籍中、アッシュフォード学園創設以来の職員、生徒のデータすべてが頭に入っていたのだから…
今更、薄い文庫本の100冊や200冊、頭の中に入っていてもおかしいとは思わない。
「スザクはこの本、読んでいないのか?俺が初めて読んだときは日本で云う『小学生』の年齢だったぞ…。今のお前なら普通にすらすら読めると思うがな…」
「あ、いいよ…僕は…。字ばっかりの本は…教科書だけで十分だよ…」
「?教科書には挿絵や写真があるじゃないか…。それに…あれは本と呼べるのか?」
スザクの答えに今度はルルーシュが呆れ顔でスザクの顔を見た。
「ま…まぁ…僕は…そう云うの苦手だから…」

 なんとなく、逃げるようにスザクが云った。
確かに…スザク自身、字を読むよりも、まず実践…と云う感じだ。
これまでに、様々な電化製品など、説明書付きの者に関しては…とりあえず、電源の入れ方だけを見て後は適当に触ってみる…
と云う感じだった。
ルルーシュはと云えば、隅から隅まで説明書を読んでから、ボタンの場所などを全て頭に入れてから電源を入れていた…
「こうして見ると…俺とおまえ…似ているところもあって、全く正反対のところもあるな…」
「え?でも、僕とルルーシュって…正反対に見えるけど…」
「確かに…この本の冒頭の最初は…そうかも知れないけれど…。でも、ちゃんと俺とお前と共通している部分も書いている…」
ルルーシュが閉じた本を持ちあげながらそう言うと…スザクも何となく納得している部分とそうでない部分を見せる。
「まぁ…『智に働けば…』の部分は完全にルルーシュだよね…。『情に棹させば…』の部分は僕って云いたいんだろ?」
「その続きは俺とお前と共通しているんじゃないか?」
「『意地を通せば窮屈だ』…まぁ、なるほどね…。でも、これって、全部の人に云えるんじゃないの?」
「ああ…そうだな…。そして…世界を創り上げるのも…人だし…。俺が『ギアス』を持っていたとしても、『コード』を持っていたとしても…人である事は変わらない…。別に神や鬼になった訳じゃないんだからな…」
何かを振り返るように…ルルーシュが言葉を続ける。
確かに…『人ならざる力』だったかもしれない…
でも、ルルーシュもスザクも、C.C.と契約した時に聞いた…あの声…
『王の力は人を孤独にする…』
そう云った…。
つまり、『ギアス』を持っても…所詮は『人』である…と云う事だ…。
同じ『人』からは異端視され、迫害されるかも知れなくとも…
それでも、『ギアス』を持つ者は『人』であることの証しだ。
そして…その言葉に続いたのが…
『その覚悟があるのなら…』
「確かに…C.C.は『ギアス』を手にしても『コード』を手にしても…神になるとも鬼になるとも云わなかったね…」
「それは…あいつ自身が一番よく知っていたからだろ?そして…俺たちも、それを実感しているじゃないか…。『ギアス』も『コード』も…特殊な能力ではあるかもしれないが…『神の力』ではなかった…」
ルルーシュが『ギアス』を使っていた頃…本当に…かけたい『ギアス』をかける事が出来なかった…
『せめて…ナナリーの目だけでも見えるようにしてやりたい…』
どれ程願っても…ルルーシュの『ギアス』の特性で…その願いを叶える事が出来なかった…
そして…ナナリーの目を閉ざしていた父、シャルル=ジ=ブリタニアの『ギアス』を破ったのは…ナナリー自身の力だった…
「そう考えてみると…『ギアス』と『コード』…なんなんだろうね…。かつては『ギアス嚮団』なんてものがあって、能力者を作ろうとしていた…。結局…C.C.のオリジナル以外に成功したのは…V.V.だけなんだろ?『コード』所持者って…。だから、今、世界にはルルーシュと僕しか『コード』の継承者がいないんだけど…」

 突き詰めていけば、よく解らなくなる話だ…。
「まぁ、『神の力』…と云うよりも、『神の悪戯』だな…。相当悪質な…」
ルルーシュが苦笑しながらそんな事を云った。
「確かにそうかもね…。悪戯って云えるほど可愛くないけれど…」
ルルーシュの言葉にスザクも頷く。
そして…
「雨が降ったら濡れるだろ。
霜が降りたら冷たかろ。
土の下では暗かろう。
浮かば波の上、
沈まば波の底、
春の水なら苦はなかろ。」
ルルーシュがそう呟く。
恐らく…その持っている本の一文だろう…
スザクには…難しい言葉でその言葉に何かを表現する事が出来なかったが…
しかし…
「ねぇ…今は…『春の水』なのかな…」
「さぁ…それは…人が…各々の中で決めることだろ?」
確かに…現在はそれぞれの価値観で現在の世界を評価している世界…
そして、その中で今の世界に満足しているものが多いから、現在は、大きな争いが起きていない…と云う事になるが…
しかし…
世の中は動いている…
絶え間なく…
動いて行くうちに…人々の望まない方向へと向かっていく…。
歴史を見ていても…安定した時代と混沌とした時代が…交互に訪れている。
その時々の価値観とパワーバランスの下に…
まるで、植物の果実の様な歴史の繰り返し…
花が落ちて、実を付ける時、その実を育てる為に、樹木全体がその実に対して栄養を送る。
そして、その実が色づいて、熟した時…果実は最高に色づき、樹木もやっと、見を実らせたという事で、一息つく。
やがて、その実も…色が褪せ始める。
虫が食ったり、鳥につつかれたり…
やがて、その実は腐って、地面に落ちる…
その落ちた実はやがて…次の樹木へと成長して行く…。
その繰り返し…。
時代と云うのも、その様な事の繰り返しだ。
現在の世界は…きっと、色が褪せる直前の色づいた果実なのかもしれない…
「そんな事…考えても仕方ないね…。きっと…僕たちは…それを見守り続ける事しか…出来ない…。この先…時間が流れて行けばいくほど…それを実感して行く事になるんだろうけれど…」
「それが…俺たちに課せられた『業』と云うのなら…『人』として…見続けて行きたいよな…。『人』が『人でなし』の国に行ったら住みにくいのなら…『人でなし』が『人』の世は住みにくいだろうからな…」
ふっと笑いながらスザクの言葉にルルーシュがそう返す。
あの時…ルルーシュもスザクも…周囲にどう言われようと…
気持ちは…『人』であった…
だからこそ、悩み、躊躇い、苦しんだ…
あの時、その心を知っていた者は数少ない。
そして…現在では、その心を知るのは互いだけになっている。
でも…それでいい…
だから…
「うん…そうだね…。僕たちも、少しは住みやすいところで…過ごしたいよね…。それが多分…武器を手に取らずにすんでいる世界…なんだから…」
スザクはそう云って頷いた。
やがて終りの来る…今の平穏…
スザクの言葉に…最近では使う事のなくなった…ゼロの仮面に…二人の『ゼロ』が目を向けた…

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