梅雨時は…じとじとしていて、空も薄暗い…
そんな時期が日本にはある。
ルルーシュは、この日本に送られて、日本の珍しい気候を知った。
『温暖湿潤性気候』と云う事は聞いていたが…
確かに、ルルーシュとナナリーが暮らしていたブリタニアに比べると湿度が高い季節が多い。
冬になると空気が乾燥するのは同じだが…年間通しての降水量は非常に多いと思う。
ブリタニアで暮らしていたルルーシュとナナリーにとって、この梅雨と言う時期のジメジメした空気は…珍しいと思うが、決して心地いいとは言えないものがある。
「ルルーシュ!」
そう声をかけてきたのは、あの時から…仲良くなった…初めての友達…枢木スザクだった。
枢木スザクは日本国の首相の息子で…将来は父の後を継いで、日本の首相になると云っていた…。
「相変わらず君は元気だな…こんな、落ちてきそうなほど暗い雲の下だと云うのに…。それに、もう、きっと雨が降り始めるぞ?」
「ああ…だから、ここで雨宿りさせて貰おうと思ってさ…。道場からは本宅に行くより、こっちの方が近いからな…」
スザクのあっけらかんとした返事に…ルルーシュはくすりと笑う。
この明るさのお陰で、ずっと笑えなかったルルーシュもナナリーも笑う事が出来たのだ。
「そうか…まぁ、上がってくれ…。これから昼食なんだ…」
ルルーシュはそう言ってスザクを土蔵の…玄関と云うには余りに粗末な入口から中へと招き入れた。
「お!最近、ルルーシュの料理の腕も上がってきたもんな…今日は何だ?」
まるで我が家に帰ってきたようなスザクの口ぶりに多少、呆れも感じない訳ではないが、それでも、この明るさには救われていると思う。
「今日は天気が悪いから少し肌寒い…。だから、日本の温かいうどんと云うのを作ってみた…」
ルルーシュは枢木家に預けられてから、家事の一切をルルーシュがこなしていた。
この土蔵に来たばかりの頃は、全くやった事のない掃除や洗濯、料理などに戸惑ったり、失敗もしていたようだが…
それでも、すぐに失敗の原因を考え、次は修正していると云う…まだ、いがみ合っていた頃から、その部分はスザクもルルーシュに対して認めたくなかったが『すごい奴』と思っていた。
「とにかく手を洗って…ナナリーのところへ行っていてくれ…」
そう言って、土蔵の中に造られたキッチンへと足を運んだ。
スザクはその一言で、皇子と皇女が使うには、粗末ともいえる様な洗面台で手を洗い、ナナリーのいる居間へと足を向ける。
「ナナリー!」
「スザクさん…」
目の見えないナナリーは多分、足音でスザクが来た事を解っていただろう…
でも、きっと、ここでは兄意外に呼ばれる事のないその名前をスザクに呼んで貰う為に知らぬ振りをしている事を…ルルーシュは知っていた。
だからこそ…ルルーシュはスザクに対して感謝しているし、ルルーシュ自身、スザクが来ると、こんな梅雨時の…暗い空の下でも…そして、それ以上に自分たちの身の回りを取り巻くどす黒い空気でも…負ける事がない…そんな風に思えていた。
ルルーシュがすべての準備を終えて、スザクとナナリーの元へと昼食を運んできた。
「へぇ…いいにおいじゃないか…」
「最近、だいぶ日本語が読めるようになってきて…スーパーなんかに置いてあるレシピカードを見て作っているんだ…」
「お兄様…凄いんですよ?最近では、日本の新聞に書いてある事も解るようになったって…」
ナナリーの言葉に…スザクは息をのんだ。
現在の…日本とブリタニアの緊張状態…
恐らく、ルルーシュはナナリーには知られないようにしているのだろうが…
ルルーシュが必死になって日本語を読めるように努力したのは、これから自分たちの身に降りかかる全てを把握するためだ。
「そっか…新聞に書いてある漢字…俺だって半分も分かんないのに…相変わらず頭だけはいいよな…。足は遅いし、力はないけれど…」
ルルーシュが浮かない表情をしているのを見て、スザクが茶化すように言ってくれた。
少なくともルルーシュの心の中では『言ってくれた』という表現となっていた。
スザクも、日本の首相の息子だ…
現在の二国間の状況に関して…何も知らない訳じゃない。
「さぁ、スザクも座ってくれ…せっかく温かいのに…冷めてしまう…」
ルルーシュは動揺を見せないように…そう言って、テーブルの上に持ってきたトレイを置いた。
「お兄様…今日は何ですか?」
「今日は肌寒いからな…温かいうどんを作ってみた…」
「俺…道場の帰りだから全然寒くないけど…」
「黙れ!僕たちはここから出ていないんだ…。大体6月なのになんでこんなに肌寒いんだ!これではナナリーが風邪をひいてしまうじゃないか!」
気候に関してはスザクを責めても仕方ないのだが…
しかし、ルルーシュ自身、こうしてスザクが大人しくルルーシュのある意味スザクに向けても仕方ない怒りを受け流してくれている事に感謝していた。
実際に…日本とブリタニアの間には…様々な摩擦があり…そして…いつ、戦争になるか…解らない状況にまで来ているのだ。
―――皇子と皇女がいるのに…
スザクは幼い頭で考えるが…ブリタニアと云う国は…そう言う国だといつもルルーシュは悲しそうに笑う…
そして、そのあと…怒りの表情を見せる。
でも、スザクはこのルルーシュの姿を見て…ルルーシュやナナリーを助けたいと思う反面…
決して本心を他人に見せないルルーシュがこうした姿をスザクに見せてくれる事に…幼いながら、誇りに思っていた。
翌日は…梅雨の晴れ間となった。
「やっと…ちゃんと洗濯が出来るな…」
ルルーシュが空を見上げてそう呟いた。
ここ数日…まともに晴れた日がなかった。
そこで、寝室からもシーツを引っ張り出して、洗濯機へと運ぶ。
「お兄様?」
「ああ…ナナリー…今日は久しぶりに晴れたから…ちょっと色々洗濯しようと思って…。洗濯が終わったら、日光浴に行こう…」
ルルーシュは小さな体でシーツを抱えて、洗濯機のスイッチを入れる。
「はい…お兄様…。今日は…スザクさん…いらっしゃるかしら…」
「今日は学校だって言っていたから…夕方になるんじゃないか?」
「そうですか…学校…」
ナナリーの声がやや小さくなった事に気がついた。
「ナナリー…」
現在物理的には何不自由はさせない努力はしている。
しかし…精神的なものは…完全にスザクだよりだ。
自分でも…何とか出来れば…と…思うのだが…
結局ナナリーに気を使わせてしまう結果となるのだ。
「お兄様…今度、私にも勉強を教えて下さい…」
「そうだな…今度、スザクに、ナナリーの年齢に合ったテキストを持って来て貰おうか…。僕も学校なんて行った事ないし…少し興味があるから…」
「はい…」
今のルルーシュとナナリーに許される、ささやかな望み…
それも…スザクがいてくれてこそのものだ…
そんな風に考えている時、洗濯機の脱水の終わったアラームが鳴っている。
「あ、終わったみたいだ…。僕はシーツとか、干してくるから…ナナリーは部屋で待っていてくれ…。もう一度、洗濯機を回したら、外に日光浴に行こう…」
「はい…お兄様…」
ルルーシュ達が外に出ても許されるところは限られている。
枢木神社の周辺と…毎日の買い物…
その際にも、枢木首相からつけられているSPが常に彼らを見張っている。
それが…人質の立場…
頭では解っているが…まだ幼い彼らにとって…過酷な状況である事は解っている。
それでも、今の情勢はそんな幼い子供たちの事を構っていられる程の余裕は何もないのだ。
―――それも、これも…全部…
洗濯ものを抱えながら空を見上げる…。
こんな風に晴れた空を見ていると…更に切なくなるのはなぜだろうか…
これから…自分たちの身に降りかかってくる…何かを…懸念しているからか…
今の幸せが…いつ終わるか解らない…脆いものである事を知るからか…
「眩しいな…」
ルルーシュは空を見上げて…そう呟いた…
一通り、洗濯物を干し終えて、ナナリーの元へと走って行く。
こんな晴れた日なら…ナナリーもきっと喜ぶ…
見る事は出来なくても、太陽から降り注がれる熱さや時折吹いてくる風…そして、その風によって奏でられる、青々とした葉の揺れる音…
それらがナナリーを包んでくれる。
「ナナリー…帽子を被って…少し、外を散歩しよう…」
「はい…お兄様…」
ナナリーを土蔵の入り口までおぶっていく。
いつもなら車いすで行くのだが…
「お兄様…車いすは?」
「ああ…昨日までの雨で辺りの地面はまだぬかるんでいるんだ…。車いすでは危ないから…僕がおぶって行くよ…」
梅雨に入ってから中々日光浴など出来ない天気ばかり続いて…買い物の時にちょっとだけ目にした新聞の週間天気予報にも…今日を逃すと暫く雨が続くとあったのだ。
確かに、スザクがいてくれれば…とも思うのだが…それでも、スザクとここまでうちとける前には一人でナナリーを外に連れ出していたのだ…
「大丈夫ですか?」
「何を言っているんだ?僕はそんなに力がない訳じゃないぞ…。スザクの場合は、体力バカだからな…あいつが特別なんだよ…」
そう言って、ルルーシュはナナリーをおぶって外に出た。
すると…目の見えないナナリーにも、太陽の光を感じられたらしい。
「ホント…今日は太陽が出ているんですね…」
「目が見えないのに…解るのか?」
「はい…これだけ強い光だと…。瞼を通して…光を感じます…」
「そうか…」
ルルーシュの気持ちの中に複雑な感情が生まれてくる。
もし、あんな事が起きなければ…ナナリーが視力を失う事も、足が不自由になる事もなかった筈なのに…
確かに…王宮とは…この枢木家よりも遥かに危険な場所だ…
母が庶民の出身であったとはいえ、それ故に平民からの支持が厚かった。
そして、貴族や皇子、皇女の中にも彼女の実力に憧れるものがいた。
だからこそ、皇位を狙う皇子、皇女やその母、後見する有力貴族たちは彼女を恐れていた…
その事実を知るが…しかし、そんな彼女も殺されてしまえば…父である皇帝は『弱者』として、切って捨てたのだ。
そして、彼女の生んだ皇子と皇女を…いつ戦争になってもおかしくない…と云うより、ブリタニア側の方が攻め込む気満々の日本へと…送ったのだ…。
今、ルルーシュとナナリーの上にある太陽が、明日、雨雲に隠れてしまうように…
ルルーシュとナナリーを照らしてくれる、スザクと云う存在が、いつ、雨雲によって隠されてしまうか…否、スザク自身が雨雲になってしまうかもしれない…そんな不安を抱えている。
―――時間が止まれば…僕も…ナナリーも…笑っていられるのかな…。せめて…せめて…ナナリーの笑顔だけでも…
辺りを一周して、ルルーシュは土蔵へと帰ってきた。
「ナナリー…疲れたかい?」
「いえ…大丈夫です…」
久しぶりの日光浴…
基本的にあまり外に出る事のないナナリーは体力的にも長時間、太陽の下にいるだけでも消耗が大きいのだ。
「じゃあ、僕は、昼食の準備をするから…」
そこまで云った時…
「おい!お前たち…なんでここにいないんだよ!」
そんな怒鳴り声が耳に届いた。
「スザク…今日は君は学校じゃなかったのか?」
「今日は半日で終わりだったんだよ!なんだ…散歩なら待っていてくれればよかったのに…」
知らなかったのだから仕方ない…
「スザクさん…ごめんなさい…」
「ナナリー…スザクに謝る事なんてない!僕たちはそんな事知らなかったんだから…」
ルルーシュはむっとしたようにスザクを睨んだ。
「あれ?言ってなかったっけ?」
スザクはとぼけたようにそう返すが…どうやら本当に忘れていたようだ。
「言ってない…。とりあえず、ナナリーを部屋に運ぶから…そこをどいてくれ…」
ルルーシュはナナリーをおぶったまま中に入ろうとする。
「ああ…そうだな…ルルーシュの力じゃ、ナナリーも心配だもんな…」
相変わらず…口の減らない奴…と思うが…
「君ほど体力バカじゃないだけで…僕だってちゃんとナナリーをおぶって散歩するくらいの力はあるぞ!」
こんな風に返せるのは…恐らく…安心している相手だからだ…
ナナリーも二人のやり取りにルルーシュの背中でくすくす笑っている。
「そんなことより…まだ昼飯食ってないんだろ?今日は何だ?」
「君は…ここに昼食を食べに来ているのか?」
「ああ…お前の料理の腕前が上がっているかどうかを判定する為にな!」
「君に心配される筋合いはないぞ!」
「そんなこと言って…きっとナナリーは遠慮して『おいしい』としか言わないだろうからな…俺がちゃんと判定してやる!」
ふざけ合える…友達…
心地いい…言い合い…
ルルーシュは思う…
スザクは太陽だと…
自分たちを照らしている太陽だと…
でも…いつか、雨雲に隠されてしまう…
それでも…この太陽の温かさを知ってしまって…
手放す事への怖さを…ぐっと飲み込む…
そう遠くない未来…
自分たちを照らす太陽は…
分厚い雨雲に…
隠されて…自分たちを照らしてはくれなくなる…
温かければ温かいほど…それは…手放し難くて…
いずれは…離れて行ってしまう…
自分に伸ばされた手を…
つかんだ…
その手は…とても温かくて…
涙が出そうになるのを…ぐっとこらえた…
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